世界樹の迷宮X妄想マスタリー雑記 4周目 天球を抱える星術士

思い付きでつづる妄想マスタリーも4周目ですって奥様

Ⅳ 例えばひとつのこんな結末

魔魚との死闘を終えて戻ってきたアガタのもとに、探索司令部に出頭するように伝言が届いた。担ぎ込まれた冒険者御用達の宿屋〈湖の貴婦人亭〉の待合室に訪れた衛兵に、出来れば行きたくない旨を伝えると、そういうわけにはいかないので顔だけでも出してくれと頼まれ、仕方なく探索司令部へと向かう。ジェイルロックの連中と一緒に勝手に乗り込み、地下街に住み着いている手前、あまり大っぴらに市街地を歩くのは気が引ける。探索司令部に踏み込むなど以ての外なのだが。

アガタがせめてティコ達アストロラーベの誰か同行してくれないものかと、クワシルの酒場に顔を出すと、彼女たちはスノードリフトの討伐に向かったよ、と酒場主の飄飄とした口調で説明され、仕方なく独りで行く覚悟を決めた。

そんなアガタの前に、アストロラーベの外見的には人間と変わらないアンドロが街路樹の陰からひょいっと顔を出す。

「お前は確か……」

アガタとコッペリアは皆無と言っても差し支えない程に面識がなかった。唯一接触したのは密林から脱出した時、その時も会話を交わすことも無く、ティコ達が合流した二人組の片方がこんな姿だった気がする、程度でしかない。

「ティコは狼の巣に行ったんだろ? どうした、留守番か?」

「あなたに用があって来ました」

コッペリアがアガタのすぐ傍にまで歩み寄り、頭一つ以上小さい位置から見上げてくる。その瞳からは何故だか懐かしいものを感じる。しかしその感覚が何なのか、今のアガタにはわからない。海都の冒険者と似た姿をしているから、懐郷病のような感覚なのかもしれない。そうだ、落ち着いたら久しぶりに海都に戻ってもいいかもしれない。海底の迷宮の中、古代魚の巣だった恋人とその父親が亡くなった場所に作った墓も5年も放置したままだ。

アガタが呆然とそんなことを考えていると、コッペリアがその手を取り、探索司令部へと引っ張っていく。

「俺に用があったんじゃないのか?」

「まずはペルセフォネ様からの呼び出しが先です」

相応に整った顔の手を繋がれたまま歩くのも気恥ずかしいが、無碍に振りほどくのも悪いと思ったアガタは、そのまま市街地の道を進んでいく。

「懐かしいですね」

「なにが?」

「以前、こうしてアーモロードの街を歩いていた記憶があります。あなたと二人で」

アガタは海都にいた頃の記憶を探り、身に覚えがない事を確かめて、

「俺と? 人違いだろ、シノビなんてどいつもこいつも似たような顔してるからな」

コッペリアの勘違いか誰かと間違えているのだ、と告げた。

しかし不思議と懐かしさはある。そういえば冒険者になる前、あいつとこんな風に歩いたこともあったな、と思い出す。あの頃はよかった、自分もあいつもまだ幼くて、あいつも父親も迷宮で命を落とす前で、漠然とした迷宮への憧れと将来への期待だけが膨らんでいた。

アガタの目から一筋の涙が毀れる。その水滴を観測したコッペリアが、隣で足を止めるこの顔を見上げると、実際の年齢よりも随分幼く見えるアガタの表情が視界の飛び込んでくる。

コッペリアが寸足らずな背丈で手を拡げて、アガタの腰の辺りにしがみつく。

「……なんだよ」

「いえ、人間は悲しい時にこうしてもらえると気が和らぐと聞いたので」

「そうか。ありがとうな」

アガタはコッペリアの頭を優しく撫でながら、ぽつりと帰りたい、と呟いた。ああ、自分は帰りたかったのだ。あのまま海都にいても死んだ恋人に顔向けできないと思っていた。だから一人でも多くの冒険者を助けようと見ず知らずの者を何人も、何十人も助け続けた。でも本当はそんなことをしたいわけではなかった。いつまでも満たされることのない冒険なんて、もう終わりにしたい。あいつの生きていた頃に帰りたい。

「カナエに会いたい」

アガタの目から一筋二筋と涙が毀れる。落ちてくる雫に僅かに髪を濡らしながら、コッペリアはアガタを抱きしめる腕に力を込める。

「私もずっと会いたかったよ、アガタ」

コッペリアがそう呟いて、アガタの胸に顔を埋め、一瞬思考を止めて、再び顔を上げる。アガタもその言葉に驚いて、コッペリアの顔を見下ろす。

「思い出した。私ね、古代魚の巣で死んだ後、深都の機兵達に拾われたの。あの迷宮で死んだたくさんの衛兵と一緒に」

コッペリアは肩につけた観測装置から歪な音を立てながら、深都の機械兵アンドロとして蘇ったこと、すべてのアンドロが元は人間で、例外なく全員が生前の記憶を忘れてしまう。その時に奥底に残った生前の記憶とアンドロとしての記憶回路に矛盾が生じて、この間のような不具合を起こしてしまうことを、堰を切ったように語った。

「ごめんね、すぐにアガタのことを思い出せなくて」

「謝るのは俺の方だ。俺があの時、先走ったりしなかったら……」

アガタはコッペリア、今はカナエと呼ぶべきかもしれない機兵の少女に縋る様に抱き着き、これまで流せていなかった分の涙と押し殺していた感情を垂れ流すように泣いた。

その姿はあまりに悲痛であったが、いつまでもそのままにしておくわけにもいかない。探索司令部に来ないアガタを気にして、迎えに来たオリバーとマルコが大袈裟に咳払いをして、アガタとカナエに声を掛ける。

「ああ、なんだ、その。取り込み中悪いんだが、ペルセフォネ王女が待ちくたびれていてな」

「すまないね。待ってあげたいところだけど、王女がお待ちかねでね。アガタ、王女はレムリアでの君の行動を高く評価しているそうだ。事実、君は多くの冒険者の命を救った。レオにカリス、ロブ、他のギルドや衛兵達、それに僕とオリバーのもね。ギルド長のミュラーも君に感謝していたよ」

オリバーとマルコの背後から、アガタの到着を待ちかねたのかカリスとロブ、それにレオが姿を現す。

「当然アタシ達も感謝してるデス! ね、ロブ!」

「ああ、そうだな。あんたにはこいつを助けてもらった恩がある」

「ボクもだよ。あなたとアストロラーベがいなかったら、ボクもシリカさんも生きて帰れなかったかもしれない」

次々と掛けられる称賛の言葉を受け止めるアガタを見ながら、カナエは微笑みを浮かべてその顔を見上げる。

「立派になったね、アガタ」

立派なものか、と否定の言葉を吐こうとしたが、彼らの後ろから甲冑に身を包んだペルセフォネ王女と護衛の衛兵達が歩いてくるのが視界に入り、アガタはカナエを自分の後ろに下がらせる。

地下街の人間が表に出るのは基本的にはご法度だ。アザレアや自分のようにこっそりと出ていく者もいるが、あくまで勝手に見つからないように、というのが地下街の住人達の共通の認識だ。特にどぶねずみの巣と彼らに関わりのある者は厳しく罰せられる、と耳にしたこともある。衛兵の言葉を信じるのであれば厳罰までは下されないだろうが、見つかったからには相応の罪に問われる可能性もある。

「汝がアガタか」

ペルセフォネの問いに静かに頷く。

「我はペルセフォネ。汝は我らが招集した冒険者ではないそうだが、此度の、いやマギニアがこの地に上陸してからのこれまでの働き、司令部は高く評価している。そこで我らは汝を冒険者として認め、マギニア市街地での行動の自由とギルドへの登録を認めることとした。これからも励むがよい」

ペルセフォネはそう告げて、くるりと身を翻して探索司令部へと戻っていく。

その言葉を聞いて、オリバーとマルコがアガタに笑顔を向ける。

「これからは競い合うライバルになるわけだ。いつか恩返しをしねえとな」

「そうだね。アガタ君、僕達でよければいつでも頼ってくれ」

有難い申し出だ。海都を出る頃には心ない冒険者から、未熟な連中が無茶をした結果だ、とか、どうせ仲間を置いて一人だけ逃げてきたくちだろう、等と揶揄されることもあったが、今こうして冒険者としてそれなりの評価を得ていることは素直に喜べる。これだけでも今までの行動に意味があったと、不甲斐ない自分を慰められる。

「いや、冒険者はもう引退だ。俺はアーモロードに帰る」

アガタはカナエの手を強く握り、帰ろう、ともう一度だけ呟いた。カナエはアガタの手を握り返し、静かに頷いた。

 

 

 

 

 

数日後、スノードリフト討伐を終えたティコの前にアザレアが顔を出す。

「やあ、ティコ。少し寂しそうだね」

「そう? アザレアが寂しいって思ってるから、そう見えるんじゃない?」

アザレアが静かに笑いながら、ティコの隣に腰掛け、満点の星々を一緒に見上げる。

「実はそうなんだよね。あーあ、せっかく仲良くなれたのに、今頃アーモロードに帰ってる頃だなんてね。それも挨拶もなしに」

「でも船を出してあげたんでしょ」

ティコがアザレアに視線を投げかける。アガタがカナエを連れて、レムリアからもマギニアからも離れると聞いたアザレアは、大急ぎで船と周辺の海図、外洋の航路図を用意した。勝手口の元難民が持ち込んだものだが、比較的頑丈で海流に逆らわずに時間を掛けて進めば、難破せずに外海まで出れるだろう、との折り紙付きの代物だ。

「海都に帰るって聞いたからね。いざという時の脱出用の船を一隻ね。虎の子の船だったんだよ、おかげで勿体無いってどぶねずみのお姫様がお冠だよ」

「大変だね。ん? 地下街ってお姫様がいるの?」

アザレアが一瞬、しまったという顔をしたが、すぐに構わないかと開き直り、どぶねずみの巣に暮らす姫の話を聞かせてくれた。

かつてレムリアには不老不死を研究する者がいた。世界各地の様々な伝承をヒントに、人を不老不死に近づけたいと考えた男は、病で今にも寿命が尽きそうな娘の為に研究を重ね、古代レムリアに伝わる儀式を基にした不老不死の開発に成功した。人の目から働きかける未知の力が角膜を通して全身の細胞を変異させ、限りなく不死に近い吸血鬼のようなものに娘を作り変えた。その変異に使われたのが古代レムリアの科学技術で作った赫き魔眼と呼ばれる透鏡で、レムリアの民が去った後に寿命が尽きようとする男と共に逝くことを選んだ娘は、その力をレムリアの地に眠らせることにした。

しかしそれを掘り起こした一族がいた。偶然レムリアに流れ着いた一族は赫き魔眼を発掘し、当時の唯一の失われた国の王の末裔に献上した。まだ幼さの残る姫は魔眼の力で苦境の中でも生き残り、世界各地を流れ、各地のまつろわぬ民と寄り添って暮らし、やがてマギニアへと流れ着いた。その異形を恐れた当時のマギニアの王は姫と民たちを地下へと追いやり、やがて地下には着陸した先々で忍び込んできた流民や難民が住み着き始め、ついには巨大なスラムを建設するまでに至った。そして自衛の為の、姫と不死の力を守るための組織を作った。それがヴェノム、或いはバイパーやドーマウスと呼ばれるアザレアたちの属する名も無き組織なのだ、と。

「その姫がね、アザレアばかり勝手なことをして不公平だ、たまには自分も外に出てみたいって我儘を言い出してね」

アザレアは溜息を吐いて、姫が魔眼の力の代償で、日の光に当たると見る見る内に衰弱して、全身が火傷していくのだと説明した。日の光の下に放置し続けると、それこそ死んでしまうかもしれないのだと。

「だから先日も、頭を叩き割って連れ戻したんだけど。また外に出るって聞かなくて、困ってるんだよね」

「頭を叩き割ったの?」

死なないからね、とアザレアはさらりと返事をし、姫はどぶねずみの巣の住人達に取って大事な存在なんだ、と呟いた。

「だから夜の間だけっていう条件で、しばらく迷宮に連れて行ってあげようと思うんだよ。どうせそのうち飽きてくれると思うから」

ティコは話を聞いているうちに、その姫に興味を持たざるを得なくなった。不死で、長寿で、人間とは違う命と体質の持ち主。貪欲に知識を求めるティコの興味を引かないわけがない。

「ねえ、アザレア。どうせなら一緒に探索してみない?」

ティコはアザレアに、好奇心に満ちた目で提案したのであった。

Ⅳ 泥中の魔魚と新米ギルドと元冒険者

「やあ、アガタ。昨日はご苦労様だったね」

ギニア市街地と接する地下街の入り口、通称勝手口で休息を取っていたアガタに、地下街最奥の咎人の過密地帯、通称どぶねずみの巣から出てきたアザレアが笑顔で挨拶する。

知り合って数年になるが、未だにこの赤髪の少女は底が見えない、というか奥底に蛇のような猛毒を飼っている気配が、警戒と緊張を僅かに強めさせる。休息時には出来れば会わずに済ませたい人物ではあるが、どぶねずみの巣の住人の中で唯一気軽にあれこれと情報を教えてくれるのもまた彼女一人しかいない。

アガタは、そうでもないさ、と一応の返事を返し、他人の住居の間に吊るした簡易的なハンモックから降りる。

「ところでアガタ、君が気に掛けていたマギニアの新米冒険者のカリス、魔魚シルルスにひとりで挑むそうだよ。相棒のロブも慌てて追いかけたようだけど、追いつくのに時間が掛かるだろうね」

「勘違いしているようだから言っておくが、俺は誰でも彼でも助けに行くような頭の壊れた善人でも神様でもない。自殺行為まで面倒見切れるかよ」

アザレアはにやりと笑みを浮かべて、両手の人差し指を立てて、アガタの目の前で交差させ、手遊びのように絡めた後、すっと左右に引き離し、右手の親指を折り曲げる。

「魔魚を前に怖気づいたカリスか、追いつけずに適度に負傷して諦める理由を見つけて撤退したロブか、運が良ければ片方は生き残る。そしていつまでも悔やむんだよ、自分の行動の何が間違っていたのか、どうしてこんな結果になったのか、ってね。そう、君みたいに」

アザレアの言葉が終わった瞬間、アガタが目の前の少女の黒い外套を乱暴に掴む。しかし何時の間に忍び寄っていたのか気配を感じさせることも無く、茶色い髪を長く垂れ流した青年ベルジアと複数のドーマウスの手練れがアガタを取り囲み、その喉元に冷たい感触をぴたりと押し当てる。

「ごめんごめん、今日は獲物の数が多いから護衛付きでね。ベルジア、放してあげて。アガタも悪気があったわけじゃないんだ。ちょっと頭が沸騰しちゃっただけだよ」

「わかりました。アガタ君、乱暴はいけませんよ」

アガタが外套から手を離すと、ベルジアも喉元に押し当てていた短剣を仕舞い、他の手練れもそれぞれ獲物を懐に戻す。アザレアは外套の皺を伸ばすように何度か手で摘まんで引っ張りながらアガタに笑顔を向け、

「結末を見届けたら、タンのところで宴会でもしようよ。私は意外と全部まるっとうまく収まるような気がしてるけどね」

ベルジア達を引き連れて、掌をひらひらと振りながら立ち去って行った。

 

同時刻、探索司令部から出たティコ達はペルセフォネから下された任務を半ば仕方なく引き受け、カリスを追って共に魔魚シルルスを討伐することになった。

「ねえ、エリル。カリスはなんで焦ってるんだろう?」

「あなた、そんなこともわからないの。大事な彼に認められたいからに決まってるじゃない」

「でも、今すでにロブから認めてもらえないのに、魔魚を倒して認めてもらおう、って無茶苦茶じゃない?」

「体を張ってでも認めてもらいたいのよ。それが恋でも、友情でも、家族の情愛でも、そういう時が人生で1回や2回はあるものよ」

エリルは溜息を吐きながら、首を傾げている従姉妹に説明する。しかしこの従姉妹が理解しないであろうことはすでに承知しているし、未熟な自分を認めてもらおうと躍起になるカリスの気持ちは、かつての巫医になると決めた自分と重なって、痛い程によくわかる。自分も隣で呑気な顔をしている従姉妹に認めてもらいたくて、一生背中を見つめ続けるだけになりそうな占星術師の道を諦めて、別角度から心を掴もうと巫医の道を選んだのだ。だから気持ちは我が身のように理解できる。

「置いて行かれるくらいなら、身体を張ってでも並んでいたいものなのよ」

「エリルもそうなの?」

「私は違うわよ! 占星術師よりも巫医の方が、より人の役に立ちそうだから選んだだけで」

ティコは、ふうんと呟いて、そんなことよりカリスを早く追いかけないとね、と踵を返してハウメアのいる建設中の図書館に足を延ばした。

ミズガルズ・ウラニブルグ共同図書館はどうにかこうにか完成の兆しを見せ、ハウメアが額に汗を浮かべながら陣頭指揮を取っている。ここに来た理由はふたつ、ひとつはミズガルズ図書館の技師にコッペリアの調整を頼んでいること。もうひとつはコッペリアの不具合が解消されなかった場合に、ハウメアを連れて行く段取りをつけること。

「すまないね、ティコさん。俺もアンドロにはかなり詳しいと自負してはいるが、ブラックボックスの中身まではどうにも出来ない」

技師はブラックボックス化したアンドロの思考回路を司る部位に、仮に人間の脳が使われているとしたら、先日の不具合は生前の記憶による影響だと思う、しかしこればかりは手の施しようがない、と語った。

「手足や胴体には何の異常も無い。各部への伝達も問題ない。ティコさん、この子は俺じゃなくて人間の医者に見せてやるべきかもしれないな。ほら、あるだろ。記憶やトラウマを払拭させるような医術が」

確かにそういう治療法もなくはない。治癒術に詳しいソーレンセンから聞いたこともある。アンドロの技師の手に負えない部分であるならば、人間の医者や他の種類の治療法を試してみるべきかもしれない。

ティコは礼を述べて、引き続きコッペリアはしばらく待機させることにした。通常の探索なら不具合も然程問題にならない、むしろ多少の不具合を差し引いてもコッペリアの火力は有用だが、今回のように他人の命が左右されそうな場合は安定した戦力を求めたい。

しかしハウメアも図書館完成を目の前にした繁忙期にあり、この1週間程、ほとんど休息らしい休息を取っておらず、とてもではないが迷宮に連れていける状態ではなかった。申し訳なさそうに詫びるハウメアに、回復薬を渡して、あまり無理しないように、と告げて図書館を後にした。

「私とあなたと、ヨハンネスとソーレンセン、カリスを加えたら5人。一応パーティーの形にはなるわね」

「なるけど、カリスを戦力に数えるのちょっと不安なんだよね。即席パーティーだと連携も取れないし、ちょっと前のめりになってるでしょ」

前衛を務められるコッペリアハウメアがいれば話も変わってくるが、今現在、冷静さを失った重騎士を守れる類の者はいない。せめて前衛でなくても冷静に戦況を見極めれる者がいればいいのだが。

「だったら、カレドニア兵かゴダム重装兵に声かけてみたら?」

「あの二人、別の冒険者に頼まれて密林の採集の護衛に行ってるんだよね」

「肝心な時に」

フリーの傭兵なんてそんなもんだよ、とティコは憤るエリルを宥め、しかし今のままカリスと共闘するには不安が多いと頭を抱えていると、前方から表情に焦りと決意めいたものを浮かべたアガタが駆けてくる。

「ティコ、俺も連れていけ!」

ティコが予想外の来客に目を丸くしていると、アガタはその手を掴んで、早くカリスを追いかけるように促した。

 

アガタは内心焦っていた。知りもしない冒険者のことなど知ったことではない。それでも死人は少ない方がいいに決まっているし、後悔する者なんて増えない方がいい。自分と似たような後悔を抱える前に、新米冒険者もその相棒もまだまだ出来る事があるはずだ。そんな焦りを抱いたアガタを先頭に急いで迷宮を駆け抜けていくと、ロブが魔物相手に苦戦を強いられていた。

木星(ユーピテル)の楽師、その手の弦器(ガリゾーナ)を掻き鳴らせ」

ティコが術杖から雷を放ち、ロブの周りを囲んでいた魔物を一掃する。カリスの無謀を後押しする憎しみさえ抱いていた相手に助けられたことが不服だったのか、ロブは礼を言う前に負傷した身体に精一杯の力を込めてティコに掴み掛かり、なぜカリスをひとりで行かせたのかと責め立てる。

そのカリスを助けに来たのだと告げると、複雑そうに視線を斜め下に向け、もう立ち上がる気力も残っていないのか思った以上に怪我が重いのか地べたに座り込み、積もりに積もった心の澱を吐露し始めた。

ロブとカリスは海都アーモロードの孤児で、年も一緒だった為に姉弟のように育てられた。比較的孤児に対しての偏見の無い土地ではあるが、それでも孤児を理由に苛める者も見下す者もいないわけではない、当時から背の低い小柄なロブをカリスは守り続け、そのせいで未だにカリスはロブを守ることを自分の役目だと思い込んでいた。しかし樹海の危険は子どもの喧嘩とは比較にならない程の危険を伴う。カリスの身を案じたロブは一緒に行くべきではないと突き放し、もっと強くなって認めてもらおうと空回りしたカリスは魔魚の為に迷宮の最奥へと向かった。相手を思いやる不器用な気持ちが裏目に出てしまったのだ。

悔しそうに俯くロブの肩をアガタが掴む。

「わかった、カリスのことは俺に任せろ!」

「あんたは?」

ロブの問いかけに答えることなく、アガタは湿地を越えて、更に奥へと走っていく。呆気に取られるロブに、ティコは応急処置を終えたら追ってくるように声を掛け、そのままアガタを追いかける。

1時間ほど進んだ先で、カリスが扉の前に座り込んでいる。不安そうな顔をしていたが、ティコの顔を見て少しだけ明るさを取り戻し、ロブに認めてもらうために魔魚の討伐に来たものの、ひとりでは無理だと途方に暮れていたのだそうだ。

「ロブからの伝言だ。お前を危険に晒したくない、だから迷宮には連れて行かなかったんだ、とな」

アガタがカリスにロブの真意を伝えると、カリスの顔が喜びと悲しみの混じった複雑な表情へと変わる。危険を遠ざけたいロブと危険を承知で一緒に居たいカリス、二人の思惑はすれ違いを続け、大きな不幸を呼び寄せるところだった。

「お前達は一度しっかりと話し合った方がいい。無茶する前にお互いが納得するまで話をしろ」

アガタがカリスに叱るような言葉を投げかけ、魔魚は俺達がどうにかすると宣言した。

それでもロブに認めてもらうために一緒に戦うと申し出るカリスに、絶対に無理はしないようにと約束させ、魔魚の潜む生息地への扉を開く。

巨大な鯰の姿をしっかりと見据え、アガタが独り言のように、しかし周りにも語り掛けるように呟く。

「魔魚シルルス。俺達もかつて似たような魔魚ナルメルと戦った」

アガタが魔魚に斬り掛かる。繰り出される魔魚の鰭を避けて、真上から逃げ場なく毒霧を浴びせ、刀の柄を頭に撃ちつけて魔魚の動きを止める。

「あの頃は海都の英雄と呼ばれることになる冒険者の後ろに隠れていたが、もしあの時に楽をせずに、自分達だけで勝てるまで地道に力をつけていれば、未来は少しは変わったのかもしれない」

アガタが刀を振るい、魔魚の鰭を斬り飛ばす。その奮戦の背後でティコがヨハンネスの張った陣を絡めながら、亜空絞破を何度も撃ち込む。弱点の定かではない魔魚には今考えられる中で最も有効な手段だ。魔魚の体を何度も揺るがしながら、その身を少しずつ削り飛ばしていく。

「もし俺がひとりで先走っていなければ、あいつと話し合って決めていれば、だがそれはもしもの話でしかない。俺の過去はどうしたって変わらない。だがお前達は違う。まだ未来はいくらでも決められる。ちゃんと向き合って二人で決めろ」

泥中に潜る魔魚目掛けて、アガタが含み針を飛ばして四方八方に攻撃を仕掛ける。その直後に大きな地震に襲われるが、それでも倒れずに再び姿を現した魔魚に刀を振るう。

「いいか、俺のようにはなるな! 一生後悔するぞ!」

深手を負った魔魚がしつこく食い下がるアガタを吹き飛ばす。その直後の無防備な姿をティコの目が捉える。

「失われた原始惑星(テイア)よ、空に境界を、大地に楔を、星神招いて世界を巡れ」

術杖を握る両手に集束した元素が炎と氷柱と放電の形を取り、互いを相殺しないように複雑に絡み合い、かつてない程に巨大な球となり、眼前に拡がっていくように多層多重の波となって魔魚へと放たれる。

魔魚の体が二度三度と力の波に襲われ、アストロサインが通り過ぎた後には胴体を吹き飛ばされた魔魚が、無残な姿を晒して地面に転がっていた。

「やるな、アストロラーベ。それにカリスも無事だったようだな」

ようやく追いついたロブがカリスの無事を確認して安堵の表情を浮かべる。その直後、最後の力を振り絞った魔魚の鰭がロブへと迫る。

「危ない!」

ロブと魔魚の間に飛び込んで、カリスが魔魚の鰭を受け止める。魔魚はそのままゆっくりと絶命し、今度こそ力尽きる。

「皆さんのおかげでアタシは強くなれたデス。だからこれからはロブと一緒に冒険がしたいんデス!」

これまでずっと一緒に育ってきたロブを、遠い場所で心配しか出来ないのなら庇って死んだ方がマシなのだとカリスは泣き崩れる。この調子だと今後も無茶な行動を繰り返すだろう。ロブがカリスと一緒に冒険者となるか、一緒に引退して市街地で商人にでもなるかしない限りは。

「俺はひとりで強くなろうとした。お前を守れるくらいに強くなったら、迎えに行こうと思っていた……わかった、これからは一緒に行こう」

ロブは泣き崩れるカリスの手を取り、目の届かない場所で無茶をされるよりは安心だからなと照れくさそうに呟いた。

 

こうして新米冒険者の痴話喧嘩めいたすれ違いは、考えうる限り最良に近い形の結末を迎えた。負傷して宿屋に運ばれたアガタの元に、此度の働きを耳にしたペルセフォネから特別な報酬が届いたのは数日後のことである。

Ⅳ 狼の巣

カリスと別れた後も探索を続け、迷宮の中層と下層の半分ほどの地図を完成させて戻ってきたティコ達を、困り顔の衛兵が待ち構えていた。

曰く、獣王の領域である「碧照ノ樹海」と飛竜の生息していた「原始ノ大密林」の間に新しい迷宮が見つかったものの、そこは大量の狼の巣と化し、制圧しようにも数が多過ぎてどうにもならない状況に陥っている、のだそうだ。

「なるほど、つまり狼退治をして欲しいわけね」

「狼自体はそこまで強くありません。群れの首領であるスノードリフトさえどうにかしてくれれば、後は我々でも制圧できます」

衛兵は群れの狼自体は敵ではない、といった様子で強気に語る。現実的にはその然程強くない狼に苦戦を強いられているわけだが、戦いは個の強さではなく数が重要だ、とする軍師も多い。圧倒的な物量は時に個の強さを凌駕する。それにこのまま放置して、無駄に衛兵を消耗させるのも具合が悪かろう。

「わかった。ちょうど試してみたい術もあるし、ひとつ手を貸してあげる」

ティコは衛兵から迷宮の場所を聞き出し、先程までの探索で疲れている仲間を置いて、狼の巣、通称「御神ガ原」へと向かった。

 

御神ガ原に辿り着くと、ティコの到着を待ち構えるかのようにアガタと、以前アザレアに紹介された地下街の住人達、夜盗の少女、鶏冠のように金色の髪を伸ばしたならずもの、頭にターバンを巻いた拳闘士の3人が静かに焚火を囲んでいた。

「あれ? 何やってるの?」

「少しお前に用があってな。こいつらはそのついでだ。さっさと手柄でも立てさせて、アザレアの命令から解放してやりたい」

アガタが静かに答えると、地下街の3人組が追い詰められた小動物の様な表情でティコに摺り寄ってくる。

「お願いします、ティコ・ブライエン。私達を連れて行って下さい」

「こいつらは元々、どぶねずみの巣に忍び込んで盗みを働いた罪人だ。アザレアからお前の役に立つまで永遠に待つように命じられ、先日金も尽きたんだそうだ。こうなると後は待ち続けるか、逃げるか、戻るかしかないが、内2つの選択肢が選ぶだけ無駄なのはこいつらがよくわかっている」

ひたすら待つ以外の選択肢を持たない彼らを見かねて、アガタは今回の迷宮の探索に借り出した。別に助ける義理もなかったが、彼らも一応は冒険者であり、顔を知った人間だ。そのままにしておくのも寝覚めが悪い。

だが、1回連れて行ったくらいで解決する話なのだろうか。ティコがアガタに問い掛けると、アザレアは彼らの処遇そのものには興味がなく、土産が相応の役に立ったとの報告を受けたら以後のことは気にも留めないだろう、と答えた。

「ふーん。あなた達も大変なのね」

ティコからしたら、どんな人間であろうと自分の持たない知識やそれを得る可能性を持ち、自分の邪魔をしない限りは、大事な知識の源である。このまま待ち続けるよりも、自由の身になって冒険でもしてもらって、新しい知識や発見物をもたらしてくれた方がいい。以前同行したオンタリオカレドニアの兵士、引き続き暇そうにフリーの傭兵に近い立場にいる彼らと組ませてみるのもいいかもしれない。

「いいわ、一緒に来なさい。その代わり、腕が立つところは見せてもらうよ」

「勿論よ。地下街で磨いた投剣術を見せてあげる」

「感謝するぜ。これでも勝手口ではちっとは名の知れてたんだ」

「右に同じだ。人間相手の拳闘術が狼にどこまで通じるかわからないが、きっと役に立ってみせる」

地下街の3人は顔を輝かせてティコにナイフや鎌や握り拳を見せつけて、意気揚々と狼の巣へと向かって行った。どんな人間でも役割を与えたら大なり小なり輝くのかもしれない、いや、それなりに役に立つ可能性があるから土産にされたのか。

3人の後姿を眺めるアガタの顔を覗き込むと、厄介事がひとつ片付いたように表情を微かに緩め、眼球だけ動かしてティコと目を合わせる。

「それで、私への用事って?」

「海都の冒険者を鍛えてるそうだな」

「カリスのこと?」

「で、どうなんだ?」

アガタは同郷の新米冒険者を気にしているようで、はっきりとは口にしないが、これまでの例えば大密林での言動から聞きたいことはわかる。おそらくカリスの身を案じているのだ。

冒険者には向いてないけど、自分が未熟だってわかってるみたいだから、無茶はしないと思う」

「そうか」

「それに心配してくれる相棒もいるみたいだしね」

ティコが自分達に食って掛かってきたロブのことを教えると、アガタは少しだけ思考を巡らせ、しかしどこまで話すべきか迷っている内に、一行は御神ガ原の狼の生息場所にまで足を踏み入れていた。

衛兵にも対処できるとはいえ、どれだけの数がいるかわからない狼の巣で、余計なことに気を取られるわけにはいかない。ティコとアガタは会話を切り上げて、周囲に潜む狼に意識を集中させる。

「宇宙(ウーニウェルスム)を覗く銀の円よ、天を回し地を駆け回れ」

ティコが右手を掲げ、掌の上に現れた銀色の円が微細な塵となり、輪を拡げるように四方八方へと散らばらせる。狼の位置が把握出来ればよし、個体の識別が出来なくても大まかな位置が分かればそれでよし。ティコは周囲にまだ危険度の高い狼がいないことを確認して、塵に戸惑う地下街の3人に術の説明をする。

「でも、力は感じないけど魔物も獣もうようよしているから油断しないようにね」

ティコは安堵する3人に釘を刺して、術杖を握りしめる。すると、偶然だろうか、急に発生した塵に驚いたのか、衛兵から聞いていたのとは違う体躯の小さい狼と獣王の迷宮でも見かけた狒狒が前方を通りがかる。

「先手必勝!」

夜盗の少女が短剣を投げつけ、それと同時にアガタが含み針を放つ。ならずものと拳闘士も各々武器を構えて、眼前の獣に向かって駆け出している。土産に選ばれるだけあって反応は悪くないし、頭の切り替えも早い。しっかりと経験を積めば一端の冒険者になれるだろう。アザレアも中々有能な土産をくれたものだ、とティコは感心し、術杖の先端に元素を集束させる。

「翼を持つ枯渇せしオルヤト、喰らえ喰らえ、生き血を啜れ」

先端に集めた元素で球体を作りだし、投擲機で石を投げるように術杖を振るって球体を射出する。放たれた球体は真っ直ぐに狼へと向かい、横腹にぶつかって消えた。真横から衝撃を受けた狼は悲鳴を上げながら地面に転がり、その隙を逃さないといわんばかりに拳闘士が覆い被さり、猛烈な拳打を撃ち込む。

「今の、星術とは違うようだが」

「星術だよ。私が新しく開発した術だけど」

ティコが自慢気に説明するが、思った程の威力が出ないことに不満を覚えたのか、術杖と先端に集めた元素を見つめながら、あれこれと形を変化させて思案する。アガタが刀のように尖らせたらどうだと提案するが、元素の形状変化がどうしても媒体とする武器に左右される為、球体以外だと安定しないのだと返した。

「よし、片付けたぜ!」

馬乗りになって狼に拳打を振るっていた拳闘士が声を高らかに勝利を宣言する。同時に狒狒もならずものの振り回した鎌で両腕を斬り飛ばされ、そのまま地に伏していた。

「あなた達、3人で新しくギルドでも作ったらいいよ」

「そうか。ティコさんが言うなら、それもいいかもな!」

3人は言葉を前向きに捉えて、合流した時に浮かべていた暗い表情も今や見る影もない。今回の探索が終われば自由の身となり、各々迷宮に挑む事になるだろう。しかし油断はまだできない。衛兵が語るスノードリフトと群れを形成する大型のスノーウルフ、これを退治するまでは気を抜けない。

一行がしばらく進むと、木々の向こうで青い毛をまとった大型の狼が周囲を見張る様に忙しなく左右に目を光らせている。おそらくスノーウルフだと思われる狼で、衛兵から聞いた説明では一匹が獲物を感知すると、周囲のスノーウルフも同時に獲物の位置を感知する。群れでの行動に突出した進化を遂げた種族なのだろう。出来れば気づかれずに仕留めたいが、あいにく遠距離からの攻撃手段が乏しい。が、感知前に戦闘に突入した場合、他の狼が感知するのかどうか検証もしておきたい。

ティコは極力見つからないように接近し、奇襲を仕掛けることにした。

「集まれ集まれ黒蜘蛛(ブラックウィドウ)、宴の時間だ、杯を満たせ。金星(ウェヌス)の老墓守、客人を火酒で持て成せ」

ティコが圧縮した超高温の火球を術杖の先端に置き、身を翻してスノーウルフの背後に躍り出て、振り向く前に火球を撃ち込む。全身を炎に包まれたスノーウルフは戦意それでも戦意を失わずに牙を剥くが、即座にアガタが刀を抜いて追撃を仕掛け、その首を刎ね飛ばす。

「他の狼が動く気配はないようね」

ティコが簡易式の望遠鏡で遠く離れた狼を観察するが、今の戦闘を感知した様子はなく、動かずに周囲の警戒に当たっている。どうやら感知の為の行動を取らせなければ群れに悟られずに済むようだ。

「これは貴重な情報ね、検証した甲斐があった」

ティコは羊皮紙の束に狼の生態を箇条書きに記し、後で衛兵に教えてあげようと呟く。

「今日は狼を全滅させないのか?」

「出来れば研究と考察を重ねて、万全の状態で挑みたいじゃない」

倒せるものなら倒しておきたいが、即席のパーティーで強敵に挑む程無謀でも無能でもない。地下街の3人は今回の検証に役に立ってくれれば十分で、スノードリフトへの対策が決まったら最善の組み合わせで挑みたい。とティコは考えていた。

「それに新しい術も不発気味だし、もうちょっと精度を上げておきたいよね」

術杖から放った球体が狼を仕留めきれなかったことにまだ不満が残るようで、ティコはぶつぶつと詠唱を唱えながら、術杖の先端に集めた元素をあれこれと形を変化させていた。

 

その晩、ティコ達は更にスノーウルフの検証を重ねて、体力に不安を感じるまで研究を尽くしてからマギニア市街地へと帰還した。市街地の入り口では茶色い髪を垂れ流した細身の男が、街路樹に体重を掛けて待ち構えていた。

「君がティコ・ブライエンですね。私はベルジア、アザレアの遣いで来ました」

ベルジアと名乗った青年は顔を強張らせる地下街の3人に視線を向けて、軽く咳払いをして喉の調子を整え、

「ご機嫌いかがかな、君達。私の大事なお友達のティコの役には立てたかね? 立てたのならば結構、君達を豚の餌にしなかった自分の選択を褒めてあげたい気分だよ。そこで私から君達に御褒美をあげよう、地下街に二度と足を踏み入れないという条件付きで、自由を保障してあげよう。冒険者になるのも、引き続きティコの役に立つ為に働くのも、野垂れて朽ちるのも自由だ。よかったね。ああ、お礼はいらないよ。泣いて感謝してくれるだけでお腹いっぱいだから」

ベルジアは器用に声色を変えて、アザレアの口調と身振り手振りを真似しながら伝言を伝え、再び軽く咳払いをして喉の調子を整える。

「以上です。個人的には罪人はすべからく豚の餌にするべきと考えていますが、アザレアが決めたことならそれもいいでしょう。それともう一つ、ティコさん、スノードリフトは狼を無尽蔵に呼び寄せると聞きましたが、それは本当ですか?」

「ええ。検証してみてわかったけど、スノードリフトは群れが獲物を感知した直後から、次から次へとスノーウルフを呼び寄せる習性があった。無尽蔵かはわからないけど、かなりの数が潜んでると思う」

ベルジアは成程、と呟き、ティコに礼を述べる。

「スノードリフト討伐、出来れば2日ほど待っていただけますか? アザレアから聞いていると思いますが、地下街は食糧不足でして」

どうやらベルジアは狼を狩って肉を得たいらしい。ティコがこちらは慌ててないと返事をすると、丁寧に上半身を屈めて礼を述べて、勢いよく頭を起こし、そのまま踵を返して去っていった。

気軽に上には行けない、と語っていたが、先日といい今日といいアガタといい、しれっとした顔で市街地に現れている。それに狼の巣の周辺はマギニアの衛兵が、狼が外に出ないように陣を張っている。もしかすると想像しているよりもずっと気楽に、住民同士や下位の衛兵とは交流できるのかもしれない。或いは賄賂でも渡して見逃してもらっているのだろうか。

ティコはそんな疑問を抱きながら、アガタや元地下街の3人と別れて、エリル達の待つ宿屋へと向かった。

Ⅳ 後悔と逡巡と

ネイピア手作りの蛙料理を堪能した翌日、ティコ達は再びカリスを連れて迷宮を探索していた。先日の不甲斐なさを反省したのか、カリスは最初から盾と剣をしっかりと構え、蛙や魔物に襲撃されても叫び声を堪えて懸命に挑んでいる。

その姿を見てティコは、まあ慣れだよ、と助言にもならない適当な言葉を掛けながら、カリスが仕留め損なった魔物を片っ端から焼き払った。

「あ、そうだ! 衛兵の調査が終わって、この階層の奥まで進める許可が出たんデス。そこにはオオヤマネコっていうガチでヤバイ魔物がいるらしいので、今日はそれを目標にさせて下さいデス!」

オオヤマネコ、酒場の冒険者も語っていたが、虎のように大きい山猫で、腕利きの冒険者や衛兵が次々に負傷している、実に危険な魔物なのだそうだ。更にそれ以上に危険な河馬が要所要所で陣取り、追いかけてくる河馬と挟み撃ちにされた日には生きた心地がしなかったという。

カリスの腕では不安が残るが、その時は自分達でなんとかすればいいだろう。ティコ達は気を引き締め直して、奥へと続く扉を開いた。

扉の向こうでは河馬が呑気な様子で果物を食んでいる。今のところ気づかれる様子はないが、視界内に足を踏み入れたら流石に気が付かれるだろう。出来れば避けたいので、どうしたものかと考えていると、コッペリアが河馬を凝視して首を傾げる。

「どうかした?」

「いえ、あの河馬、どこかで見た覚えがあるような気がします」

河馬は海都の世界樹にも生息していた。確か地下3階辺りだったろうか、そこで見覚えがあるなら、今目の前にいる河馬に既視感を覚えても不思議ではない。

「否定。私はアーモロードの迷宮に立ち行ったことはありません。それに」

「それに?」

「誰かにすごく迷惑をかけてしまったような……記憶回路に異常発生。一時的に機能を停止し、再起動します。」

コッペリアが瞳を閉じ、膝を着き、肩の観測装置から風を起こして放熱していく。その動作に気づかれたのか、河馬がティコ達に向かって、鼻息荒く獲物を見る目で様子を伺っている。

「気づかれたようね。カリス、しっかり防御を固めておいて」

「はいデス!」

カリスが盾を構えて河馬を待ち受ける姿勢を取る。それを敵対の合図と捉えたのか、河馬は大きく力を込めるように身を低く屈め、突撃の準備に入る。

「集まれ集まれ黒蜘蛛(ブラックウィドウ)、宴の時間だ、杯を満たせ」

ティコが掌に元素を圧縮させていく。同時にヨハンネスも脚を絡めとる陣を張り、ソーレンセンも衝撃に備えて時間差で発動する治癒術を振り撒く。

互いに次の呼吸でぶつかり合う形になる。

先手を取ったのはティコ達だった。

「四方征夷の悪路王、跳梁跋扈の現世、百鬼戯れ因果を壊せ。鈍重の駄馬、湿原の情景、泥濘を駆けて蹄よ沈め、巫剣五ノ型、霊封脚斬」

エリルが術杖の先端から巨大な刃を発生させ、その刃で地面を這うように河馬の脚を斬りつける。刃が河馬の皮膚を切り裂いた瞬間、与えた傷よりも大きい巫術の波が脚全体を通り抜けるように拡がり、河馬の脚を石の塊のように重くする。

脚を封じられた河馬は突撃の構えを解き、無防備な姿を晒したところにヨハンネスとソーレンセンが銃弾と矢を次々に撃ち込む。

「金星(ウェヌス)の老墓守、客人を火酒で持て成せ」

ティコが巨大な炎の渦を圧縮させて、回転を伴う超高温の火球に変えて放つ。火球は河馬の胴体を直撃し、その巨体を揺らしたが致命傷とまでは行かなかったようだ。

「先生、あれを使いましょう!」

ヨハンネスが陣の発生地点に手を着き、陣の維持に全集中力を注ぎ込む。

ティコは地面に蜘蛛の巣のように張り巡らされた陣を掴み上げて、両腕で絡めるように巻き取りながら、陣を破る準備に入った。

方陣は陣を破ってこそ。これはヨハンネスが先達の方陣士から教わった言葉で、張り巡らせて大地の力を得た陣を媒介にした破陣の術こそが、方陣士の術の真髄であると伝えられた。

「力を求める武勇の兵の魂よ、眼前の敵を打ち払え」

ティコが詠唱を終えた瞬間、両腕に絡みついていた陣が粉々に消えて、純粋な力の塊となって目の前の河馬を吹き飛ばす。亜空絞破と呼ばれる方陣士の奥義のひとつで、単純な破壊力は圧縮した星術と並び、しかも敵の弱点を問わない。更に陣を維持することが出来れば連発も出来る為、短時間での効率は圧縮星術よりも数段上を行く。

「もう一発! 力を求める武勇の兵の魂よ、眼前の敵を打ち払え!」

ティコはヨハンネスが維持し、消費した先から修復されていく陣を絡め取り、再び河馬を撃ち抜いた。

「先生、次が精一杯です!」

「十分よ! 力を求める武勇の兵の魂よ、眼前の敵を打ち払え」

河馬の巨体が宙を舞い、3度の強撃を受けて大きく圧し曲がった胴体が鈍い音をさせながら墜落する。さしもの河馬も耐えきれなかったのか、口を開き、胴体の中身を吹き出して絶命した。

「あなた、いつのまに方陣まで覚えたの?」

「破陣の術だけだよ。火も冷気も雷も駄目な時用に覚えてみたんだけど、なかなか使い勝手がいいね」

エリルはあっけらかんと話すティコに感心しながら、動きを停止したコッペリアに視線を向ける。カタカタと観測装置の内側から音を立てながら、ゆっくりと目を開く。

「再起動完了、探索モードに移行します」

「あんた、大丈夫なの?」

「はい。記憶回路の不具合は修正しました」

機械的に答えるコッペリアに不安を感じながら、エリルはティコに目を向ける。ティコはアンドロの中身はよくわからない、と答え、本人が大丈夫というなら大丈夫なのでは、と返した。

アンドロには深都の技師やオランピアにしかわからないブラックボックス化した部分がある。実のところ、アンドロの大部分の機能はそこに集約され、機兵としての四肢や胴体はそれを乗せる為の器と装備品に過ぎない。噂ではアンドロの素材には人間の脳が使われている、とも聞く。事実、深王ザイフリートは人間の頃の記憶を失い、冒険者の助力もあって取り戻した。オランピアも元は人間だったとの説もある。もしかするとコッペリアも元々は迷宮で命を落とした冒険者だったのかもしれない。

しかし、あくまでも推測で、確たる根拠もない。ティコは再びわからないと答えて、本命のオオヤマネコを探す為に歩を進めた。

河馬の生息地の奥まで進むと、大型の虎の様な山猫がいた。あれがカリスの探していたオオヤマネコだろう。

「いました! あれを倒したらカレも認めてくれるはずデス!」

カリスが意気込んで近づいていく。すこし気負い過ぎな気もするが、カリスが先行してくれるのはティコ達にはちょうどいい。重装備のカリスならオオヤマネコの一撃でも倒れることはない。一方、ティコ達は術士ゆえに軽装の者がほとんどだ。火力に秀でるが守備は脆い。

ティコはカリスと対峙するオオヤマネコを視界に捉えながら、

「金星(ウェヌス)の老墓守、お前の爪に火を灯せ」

掌の上に火球を作り出し、オオヤマネコがカリスに飛び掛かり、一撃加えて間合いを取るために着地した瞬間を狙って、火球を飛ばす。オオヤマネコは火球を避けたが、地面に激突した火球は幾つかの火球に別れて飛び散り、跳躍した魔獣の横腹を撃ち抜く。

その隙を突いてカリスが盾を構えて突進し、弱ったオオヤマネコを見事吹き飛ばした。

「やりました!」

「カリス、今のはよかったよ」

「はい! ありがとうデス!」

獲物を倒したことで自信をつけたのか、カリスは先日よりも堂々とした表情をしている。こうして人は少しずつ成長していくのかもしれない。今は頼りない新米冒険者も、いつの日か大物を仕留めるかもしれない。

ティコ達はもうしばらく同行して欲しいと申し出たカリスを連れて、迷宮を探索し、下層への階段を見つけたところで別れた。

 

地下街のタンブリンの酒場で、アガタは珍しく酒を飲んでいた。

「珍しいのね、普段は一滴も飲まないのに」

剥げ上がった頭にランプの灯りを反射させながら、店主のオカマが空になったグラスに酒を注ぐ。

「嫌な話を聞いただけだ」

「そうだよね、君には嫌な話だよね」

そっけなく呟くアガタの背後のテーブルに、いつの間にか店内に入り込んでいたアザレアがグラスに酒を注いでいる。

「男女の新米冒険者、アーモロードの迷宮によく似た場所、どうしても似ているって思っちゃうよね、君達に」

アザレアが酒を注いだグラスをアガタの前に置き、俯き気味の顔を覗き込む。アガタの顔にははっきりと悲壮感が漂い、じろりと睨み返す目には明確な怒りが宿っている。

アガタがアザレアを手で軽く押し退けて、店主に銅貨を数枚渡して、店の外へと出ていく。

「あなたね、もう少し言葉を選びなさい」

「ねえ、タン。よく聞くでしょ、死がふたりを分かつまでって」

「健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、死が二人を分かつまで愛し合うことを誓いますか。ってやつでしょう。いいわよねえ、あたしも素敵な男と結婚式を挙げてみたいわ」

タンが頭髪とは対照的に立派に生い茂った髭を指で絡めながら、うっとりとおそらく永久に現れないであろう未来の夫に思いを馳せる。無理無理、と野暮な言葉を差し込みながら、アザレアは先程までアガタが掛けていた椅子を見下ろし、鼻で笑うように表情を歪めた。

「死が二人を分かつまで、って言うけど、死んだくらいで分てるなら、世の中今よりもうちょっと平和だよね」

「それは、確かにそうね。あなた、恋もしたことない小娘の癖に、わかったようなこと言うじゃない」

「こう見えても人間大好きだからね。お友達もいっぱいだから、自分の知らないこともわかるのよ」

タンが訝しそうに眉をひそめ、お友達とやらをアガタと先日のティコ以外に見たことがないと呟く。アザレアは人差し指を立てて、どぶねずみの巣にはいっぱいいるんだよ、と説明して、酒場の窓から微かに見える異常に過密増殖した建造物を指さす。

「タンも来てみる?」

「いかないわよ、危なっかしい」

「そうでもないんだけどね」

そう言ってアザレアは銅貨をカウンターに置き、片手を振りながらどぶねずみの巣へと戻っていく。

 

どぶねずみの巣、地下街の中でも外からの光の当たらない場所に建てられた巨大な建造物。元々は衛兵宿舎の様な階層式の住居が集まる場所だったが、上にも横にも建物同士の間にも増築による増築を重ね、その時々に応じて改築を施し、気が付けば原形を留めない程に大きく狭く、更に暗く変貌し、今では同じ地下街の勝手口や揺り籠の住人でさえ足を踏み入れるのを躊躇する危険の巣窟と化した。

その建造物の内部の最奥に、アザレアの暮らす部屋とその周囲にドーバウスやバイパーと称される組織の構成員の住処がある。

「アザレア、お帰りなさい」

「出迎えご苦労、ベルジア。ところで先日連れ帰ったお姫様の具合は?」

「さあ。死ぬことはないのであまり気にしていませんでした」

それもそうだ、とアザレアが苦笑し、とある一室の扉を開く。室内には雑多に残飯やゴミが散らかり、中央に大雑把に置かれた椅子の上に、赤い瞳の黒髪の令嬢が座っている。

「随分と手荒な出迎えですのね、アザレア・シュバルツェン」

アザレアはやれやれと肩を竦めながら、目の前の令嬢をしっかりと見据えた。

Ⅳ 同郷の新米重騎士

飛竜を討伐して探索司令部からの信用を強めたティコ達が新しい迷宮「垂水ノ樹海」探索の為に、ネイピア商会を訪れると店主のネイピアが、いつも以上の笑顔で迎えてくれる。ネイピアとの付き合いも長い。海都の頃から数えると5年を超える付き合いだ。その間にわかったことの一つが、店主が人に何かを頼むとき、いつもより笑顔が大袈裟になる癖だ。

ティコは頼みごとに違いないと即座に気づき、しかし店主の頼みごとはそれほど無茶なものではない、ことを知っている為に快く引き受ける為に笑みを返す。

「なんじゃ、お主も笑ってからに」

「だって、頼みごとでしょ?」

「その通りじゃが、どうしてわかったのじゃ?」

「顔に書いてるよ」

ネイピアは慌てて鏡を見る。その様子を見て、ソーレンセンが、大丈夫ですいつも通り美人ですよ、と声を掛ける。

「そんなことを言っても値は負からんぞ」

とネイピアがそっけなく返し、そんなことよりと本題を切り出す。

海都アーモロードで旧知の仲にある冒険者が飛行都市マギニアに乗り合わせた。素質はあるものの少々危なっかしいところがあり、冒険者仲間からも見放されそうになっている。それを聞いたネイピアは里心が働き、ティコ達のような熟練の冒険者と同行すれば相応の経験にもなり、自信にも繋がるだろうと考えた。

「勿論ただでとは言わん。報酬は約束する故、頼まれてくれぬかや?」

「いいよ」

「よろしく頼むぞ。それともう一つ、こっちはついでで構わんのじゃが、蛙の頬皮を手に入れてくれぬか?」

ネイピアがついでにと蛙の調達を頼んでくる。海都アーモロードにある羽ばたく蝶亭、そこの名物料理の一つが蛙肉の料理だった。考えてみれば海都を離れてしばらく経つ、気丈に振る舞うこの店主も懐郷病にでも罹っているのかもしれない。

「いいけど、料理なんて出来たの?」

「なぜ料理に使うとわかったのじゃ?」

ネイピアが怪訝そうに眉をひそめ、さてはお主も蛙肉に胃袋を掴まれたくちだなと、にやりと笑みを浮かべる。

「懐かしいのう。あやつに満面の笑みで、さあ食え、と出された時はぎょっとしたものじゃが、食べると案外美味でな。だが、あやつはアーモロードに残っておるから、蛙料理を食すことは出来ん。肝心の大型の蛙もおらぬと思うておった。しかしじゃ、聞けば次の迷宮はアーモロードの世界樹にあったものと似ておるとな。ならば我自身が作ってみるのも一興と思うてな。上手く作れたらお主にも御裾分けしてやろうかの」

ネイピアは余程懐かしかったのか饒舌に故郷の酒場の店主との思い出を語り、ティコに蛙料理を振る舞うと約束したのであった。

 

色鮮やかな花と中央に座した滝に彩られた美しい迷宮「垂水ノ樹海」、ネイピアの言葉通り、アーモロードの冒険者からしたら懐かしさを覚えざるを得ない迷宮だ。その入り口に重厚な鎧を着込んだ少女が待ち構えていた。

「よろしくお願いするデス!」

どこか片言な言葉遣いの少女はカリスと名乗り、彼女がネイピアの頼んできた海都の冒険者なのだろう。元老院に出入りする冒険者であれば、一度くらいは会ったことがありそうなものだが、どうも見覚えがない。このレムリアで初めて迷宮に挑む新米というところか。

「ティコ、あなたも海都の住民でしょ。会ったことないの?」

「あのね、アーモロードに何人、人が暮らしてると思ってるの。住民全員の顔と名前をしってるわけないじゃない」

「でも、あっちは知ってるみたいよ」

カリスはティコの名前を聞いた途端に、不安そうな顔でこちらを見つめ、口からは「元老院全壊」だの「深都城門爆破」だの「港を半分吹き飛ばした」だのと物騒な単語が次々に毀れ出す。

「大丈夫よ。こいつ、その罰で力を封じられてるから」

「私ごと魔物を吹き飛ばす、なんてことないデスよね?」

「多分」

不安を隠せないカリスにエリルは安心するよう声を掛けたが、徐々にではあるが力を取り戻しつつあるティコがどれほどの星術を使うかは予想しきれない。飛竜を倒したことで、またひとつ、封じられていた術杖を手にする事に成功したティコの術は、数日前よりも数段強力なものになっているだろう。

肝心の当事者は、珊瑚から出来た銀粉と古魚の鱗で装飾した上位占星術師が授けられる術杖を手に、早く星術を使いたくてうずうずと迷宮の奥を眺めている。

せめて星術で吹き飛ばされた時は、速やかに治してあげようと心の中で覚悟して、エリルは大丈夫と心ない言葉をカリスに掛けた。

 

カリスは正直に言うと冒険者に向いている類ではなかった。凶暴な魚や蛙に怯えて目を瞑る少女らしい少女で、冒険者として迷宮を歩くよりは飯屋で給仕をしている方が似合っている、そんな少女だった。

体力はある、筋力もある、気力もある、剣の腕も盾の扱い方も教科書通りに基本を押さえている。しかし肝心の中身があまりに冒険者らしくない。もっと血生臭い、返り血を浴びても動じないくらいでないと、この先やっていけないだろう。

「向いてないと思うよ」

ティコが素直に告げると、カリスは納得しないのか顔をしかめる。しかしそんな顔をされても冒険が出来るわけではない。ティコはコッペリアに叩き斬られて絶命した魚の頭を抱えて、カリスに向けて放り投げる。

甲高い叫び声を上げて後ずさるカリスに、そういうところがだよ、と説明し、今日のところはゆっくり休むようにと帰還を促して、新米冒険者の背中を見送った。

「まあ、今のままじゃ無理ね」

「でも、あなたも最初は新米だったんでしょ。もっといいアドバイスをしなさいよ!」

噛みついてくるエリルに顔を向けて、ティコはかつて自分が新人だった頃を思い浮かべる。初めての迷宮、周りに人がいない状況、どれだけ星術を使っても怒られない環境にティコは一喜一憂し、不必要に大きな術を使って蛙を吹き飛ばしたり、植物に擬態した魔物を圧縮した星術の練習台にしたり、逃げ回る大型獣を開発中の隕石召喚術の実験台にしたりした。

「私の時は、絶好の事件場が出来たなあって一喜一憂してたから」

「そういえば、あなた冒険者になった頃にはすでに今より数段強い術を振るってたわね」

エリルはかつて共に海都の世界樹に足を踏み入れた時の光景を思い出した。その時に感じた実力と才能の差をきっかけに、それまで従姉妹と共に学んでいたウラニブルグ天文台からステルネブルグ天文台に移り、占星術師ではなく巫医としての道を歩むことを決意したのだ。あの頃のティコ・ブライエン14世を称するなら魔王や破壊兵器といったところか。悩む新米冒険者の気持ちなどわかるはずもない。

エリルは溜息を吐きながら、遠ざかっていくカリスの後姿を気の毒そうに眺めた。

 

ティコ達が更に迷宮を探索していると、昨日食事を共にした赤髪の少女が、生っている果実を切り取って食べていた。

「あ、ティコ。奇遇だね、こんなところで」

「そう軽々と上に行けない、って言ってなかった?」

赤髪の少女アザレアは笑顔でティコに果実を渡し、みずみずしく甘い果実を食べてみるように勧めながら、ねずみがどこからでも出てくるように、地下街の人間もひとりぐらい抜け出ても気づかれないのだよ、と鼻を鳴らしながら説明した。

「それで、なんでこんなところにいるの?」

「食糧調達だよ。地下街にも色々あるにはあるんだけど、基本的には食糧不足でね。それに魚以外もたまには食べたいじゃない」

アザレアは袋に入れた果実を見せつけて、この迷宮には新鮮な果実が大量にあり、マギニアの連中ばかりその恩恵を受けるのも面白くない、と語った。

「というわけで、ちょっと一緒に食糧調達しない?」

「ねえ、ティコ。この子が例の地下街の」

「そう、私はアザレア・シュバルツェン、アガタのお友達で最近ティコともお友達になったんだ。よろしくね」

そう言ってアザレアはエリルの手を握り、上下に振った。エリルは蛇に巻き付かれたような感触に、思わず背筋を冷やしながらも目の前の屈託なく笑みを向ける少女に、そういうことなら自分もお友達になって差し上げるわ、と強気で返す。

「よろしくね。ここの魔物、結構強くてさ、密林にいるのとは格が違うのかな」

そう話すアザレアだが、見たところ傷らしい傷も負っておらず、対照的に手に握った鮮やかな赤色の長柄の棒は悍ましいくらいに血に染まっている。よく見るとアザレアが腰かけているのは岩ではなく、大きな布袋で、中に仕留めた蛙や魚が詰め込まれているのかじんわりと赤黒く滲んでいる。

「ああ、これ。さっきまで調達してた食糧。食べれる物は果物でも魚でも獣でも、なんでも持って帰らないとね」

そう笑顔で答えて、アザレアは次の果実の成る場所へと向かって走り出した。

 

茶色い楕円形の産毛の生えた果実、鱗を重ねたような紫色の果実、その他柑橘や甘い果実を大量に収穫し、バッグパックが血生臭い袋を小脇に抱えて動いている姿と化したアザレアは、ティコ達に小さく手を振って別れ、予期せぬ来客に驚いたものの無事に蛙の頬皮も手に入れたので一旦マギニア市街地に戻ることにした。

市街地に戻ると、背の低い迷彩柄の外套を羽織った少年がティコ達に敵意を剥き出しにした目を向けて待ち構えていた。

「お前達がアストロラーベか。お前たちに聞く、冒険者が樹海の奥に進み、未熟さの為に命を落とす。これは自業自得だと思うか?」

この少年の言いたいことは何となく察しが付くが、突然敵意剥き出しで食って掛かる相手と話をする程お人好しではない。ティコが、さあどうだろうね、と当たり障りも無い答えを返すと、怒りの導火線に火をつけたのか大きく舌打ちをして、自分達の行為がどんな結果をもたらすのかよく考えろ、と言い捨てて立ち去って行った。

「カリスのことかな?」

「でしょうね。ネイピアが言ってた冒険者仲間、それが彼なんじゃない? それ以外に心当たりがないもの」

やれやれとティコが肩を竦めていると、ネイピアが珍しく店の外に出て、ティコを手招きしている。

「お主たちも絡まれたようじゃのう。先程のあやつ、我のところにも来たぞ。どういうつもりだ、と凄い剣幕でのう」

「それで?」

「ここは店じゃ、冷やかしなら出ていけ、と追い払ってやった。銭を持っている客なら話を聞いてやらんこともないがのう」

そう言ってネイピアはにやりと笑い、ほれ、と短い言葉を発して手を伸ばす。どうやら蛙料理を待ち焦がれていたらしい。それで我慢出来ずにここまで出迎えに来た、といったところか。ティコが蛙の頬皮を渡すと、小躍りしそうなくらいに顔を明るくする。

「で、さっきのは誰?」

「あやつはロブ。カリスとは幼馴染での、マギニアに乗り込んでからしばらく一緒に冒険をしておったそうじゃ。それがある日突然、理由も告げずに同行してくれなくなっての、あやつに認めてもらおうとカリスは励んでおるわけじゃ」

「ふーん」

「あまり興味が無いようだのう」

ティコは一拍おいて、ネイピアの目をじっと見据えて、

「要するに痴話喧嘩でしょ。昔から言うじゃない、痴話喧嘩は猫も食わない、って」

「それをいうなら夫婦で犬じゃ。しかしまあ、お主の言いたいこともわからんではないぞ。あやつらの問題はあやつらが解決せねばならん。だが、同郷の者が困っておるとお差し伸べたくもなるものじゃ」

ネイピアが困ったものだと言わんばかりに肩を竦めて、そんなことより蛙料理だ、と張り切って店に戻っていく。ティコ達も懐かしの蛙料理のご相伴に与るために、一緒にネイピア商会へと向かっていった。

Ⅳ 地下街の少女

ギニア市街地は飛行都市マギニアの甲板部分に作られた街であり、飛行船は多層階層式の最上部、甲板部分に位置する。その下の内部の階層には軍の倉庫や食糧貯蔵庫、資源保管庫、或いは動力機関や囚人を収容する独房や牢獄が存在し、その中の一角に地下街と呼ばれる区画がある。日の光が上からではなく真横から射し込むその区画は、決して広くはないが、それでも数百人或いは千人以上の住民が身を寄せ合うように暮らし、違法に増築された建造物が天井に届くまでに蔦のように伸びている。マギニア建国以来、流れ着いた流民や市民権を剥奪された犯罪者が作った地下街は大きく3つの区画に別れ、マギニアが各地で人材を募る際に勝手に乗り込んだ不法居住者や居住権の無い脱落者が暮らす市街地と直接繋がる通称「勝手口」、その奥の窓に面した地下街の中での一等地、市街地に生きる者達の衣食住の多くを賄う酒場その他店棚が雑多にひしめく通称「揺り籠」、そして真横から射し込む光さえも届かない犯罪者や不法者の過密地帯、咎人の巣窟「どぶねずみの巣」。

アガタはマギニア冒険者を募る以前に、海都を出てから流れ着いた土地の連中と乗り込んだ類で、正規のギルドとして認められていない。当の本人も誰とも組むつもりが無いので認められる気も無い。気侭自儘に勝手口で暮らしている。

勝手口の夜は長いし、朝は早い。流民達が起きると揺り籠の連中が食材の調達や昨晩の出前の片付けの為に流れ込み、流民は仕事の為に冷めた飯をかっ喰らい、各々勝手に外に広がるレムリアに仕事をしに出掛け、まるで地鳴りでも起きたかのように一斉に騒がしくなる。

こうなると揺り籠も賑わいを取り戻し、我先に儲けようと店を開き、棚を空にしようと声を上げる。そんな中でのんびりと落ち着きを待つ一角がひとつ。ふくよかな女将が量も多くて旨い料理を提供する飯屋「朱の鳥飯店」に美人と名高い女医が店主を務める薬屋「薬餌」、老鍛冶屋が鎚を振るう武器防具装飾各種加工屋「ポタス工窟」、大柄で頭の禿げあがった奇妙なオカマが仕切る「タンブリンの酒場」、その一角で唯一、揺り籠の誰よりも先に目を覚ます自警団詰め所、明け方の「フリーン自警団」と宵の「ヴァリ分隊」、それらに加えて幾つもの店が隙間を縫うように敷き詰め合う一角をジェイルロックと呼ぶ。

アガタがまだ目を覚ましきっていないジェイルロックに足を踏み入れ、朱の鳥飯店に向かっていると、寝ぐせのついた赤髪に真っ黒い外套の少女が眠たそうに欠伸をし、アガタの姿に気づいて気さくに声を掛けてくる。

「おはよう、アガタ。随分早起きだね、えらいえらい。ここでは働かざる者生きるべからずだからね」

「あんたも随分早いんだな」

「まあね。君を助けてもらったお礼? それで忙しくてね、さっきまでポタスに武具を見繕ってもらって、ミューズに薬を揃えてもらって、タンから情報を買ってきたところだよ。おかげでほら、財布が軽い軽い」

赤髪の少女はずしりと詰まった布袋を手の上で玩びながら、アガタに食事でも付き合えと誘い掛ける。ふたりはそのまま朱の鳥飯店の暖簾をくぐり、女将お手製の朝食を待つ。

「なんで俺の礼をお前が済ますんだ?」

「君とはお友達だからね。お友達が助けてもらった礼は、お友達の私が返さないとね。でも助けられたのが君でよかったよ、私の部下だったら今頃、豚さんの餌作りで大変だったからね。あれ、重労働で嫌いなんだよ」

少女は厨房にちらちらと視線を向けながら、時折アガタの方に笑みを向ける。マギニア乗船以来の付き合いだが、未だに目の前の少女の事が理解できない。ある日突然、勝手口までやってきて、勝手に友達になろうと言い出し、勝手に友達認定をされて、勝手に借りを返された。彼女に作った借りが別の借りになるのか未だわからないが、それを材料に強請ってくるわけでも頼みごとをしてくるわけでもない。曰く、お友達に貸し借りなんてない、のだそうだ。

そうこうしている内に二人半分の体重はありそうな女将が、甘辛く煮つけた名前の分からない魚と、同じく名前の分からない植物を雑多に炒めた料理、故郷の米に似た雑穀を炊いた飯を置く。

「女将、今日も美味しそう」

「そうかい、嬉しいねえ。でも、ちゃんとお代は頂くよ」

女将が笑顔で少女の目の前に片手で掴める小型の酒樽を置き、少女の髪をわしゃわしゃと撫で回してから厨房に戻っていく。

「で、なんだっけ?」

「今回はどんな風に礼を返したんだ?」

「あー、それね。お友達を助けてもらった礼は、お友達を助けることで返せるわけだよ。ビルギッタっていう薬師の女の子が、例のティコ・ブライエンと仲が良いらしくてね、今ちょうど彼女が困ってたんだよ。そこでうちの手勢を送り込んだんだ」

うちの手勢ね、とアガタは不審な眼で少女を見据える。少女は通称どぶねずみの巣の住人だ、当然その手勢もどぶねずみの巣の住人である。勝手口の人間も揺り籠の人間も滅多に足を踏み入れない場所の人間を、外に出しても大丈夫なのだろうか。

「でもね、ティコ・ブライエンの君を助けようとした善意の分だけ、向こうがまだ恩が大きいでしょ。だからもうひとつ、何か手土産を用意してあげようと思ってね」

少女は目の前の食事に次々と箸を伸ばしながら、器用に煮魚の頭を挟んでアガタの方に向けて、

「そこでね、私は思いついたんだ。ティコ・ブライエンが使わなくても、こちらも恩を売れる形になるお土産」

「どんな?」

「人足だよ。それなりに使える暇なのを2、3人あげたら、それで貸し借り無し。これで晴れてお友達、という寸法さ」

そう言って煮魚の頭を丸ごとばりばりと齧り、酒をぐびぐびと飲み干し、目の前の皿をすべて空にする。もうすっかり見慣れた姿だが、おとなしそうな見た目に似つかわしくない食べっぷりだ。

「タンから聞いた話だと、彼女、君と一緒に迷宮を歩いたレオ君と協力して飛竜を倒したそうだよ。私は強い人と賢い人と金持ちは大好きだからね、是非とも素敵な関係を築きたいよね。だから選ぶのにも気を使ったんだよ。あんなに気を使ったのは、どぶねずみの巣の娼館に素敵なドレスを見繕ってあげた時以来だよ」

少女は立ち上がることなく、器用に上半身だけ飯屋の外に向けて、表を通り過ぎる雑多な連中の中から一人を見つけ出して大声で呼ぶ。

「ベルジア!」

少女が一声かけると、表から茶色い長い髪を垂れ流した細身の男が飯屋の暖簾を潜る。

何度か見かけたことのある少女の属する組織の手練れの一人だ。組織は正式な名称はないがマギニアからはヴェノム或いはバイパーと呼ばれ、勝手口や揺り籠の者からはドーマウスと称されている。

「探しましたよ、アザレア。ああ、アガタ君もいらっしゃいましたか」

ベルジアと呼ばれる男は丁寧な口調で喋りながら、しかし動作は大雑把に荒々しく椅子に腰かけ、赤髪の少女アザレアの皿に残った魚の骨を手掴みで口に運び、がりがりと齧り飲み干す。

「前にも言ったが、箸の使い方を覚えた方がいいんじゃないか?」

アガタが動じることなくベルジアに忠告すると、

「駄目です。武器以外を手にすると感覚が濁りますから」

そう言って、煮魚の汁を飲み干して口と喉に残った小骨を流し込む。

「ベルジアは仕事人だね。いいよ、その拘り。これからも精進しなよ」

「ありがとうございます。アザレア、人足の手配が終わりました」

ベルジアがそう呟くと、飯屋の外で3人の、この地下街では珍しくもない顔が並んでいる。

「右から夜盗、ならずもの、拳闘士です。詳細は必要ですか?」

「うん、いらない。丁寧にラッピングして、ティコ・ブライエンに届けてあげて」

アザレアは3人に歩み寄り、順番に顔を覗き込み、相手に対して相応の歪んだ笑顔を向けて、ぽんと肩を柔らかく叩いていく。

「君達は運がいい。豚さんの餌になるより、ずっと素敵な毎日が待っている。せいぜい励みたまえ。あ、それと、もし彼女が要らないと言っても、戻ってきてはいけないよ。君達は毎日毎日ちゃんと定刻通りに指定の場所に行って、ご飯でも食べながら使われるまで待つんだよ」

アザレアは人差し指を立てて警告し、そのまま飯屋の中に戻り、女将に今月分の食費と布袋を手渡し、そのまま鼻歌を歌いながら去っていった。

「それではアガタ君、私もこれで」

ベルジアは丁寧な口調で頭を勢いよく90度ほど下に傾け、すぐに元の位置まで戻し、表に並べた3人を引っ張りながら立ち去っていく。

イカレ共め」

アガタは目の前に残った冷めた朝食を食べ終え、女将に銅貨を渡して、ようやく騒がしくなり始めたジェイルロックを後にした。

 

その翌日、ティコ達がアガタの渡した地図のバツ印の場所に向かうと、そこには何かを隠すように地面に鉄製の蓋が埋め込まれている。

「この蓋の下にアガタがいるってこと?」

「かもしれませんし、単なる目印の可能性もありますね」

ティコとヨハンネスが鉄蓋の前で考え込んでいると、鉄蓋が下から押し上げられて、階段のついた細い縦穴からモノクルを掛けた明るい髪色の少女が顔を出す。

「あなたがティコ・ブライエン?」

「そうだけど、あなたは?」

「私は自警団のフリーン。どぶねずみの巣のアザレアから、あなたの護衛を頼まれたの。さ、早く行きましょ。マギニアの衛兵に見つかったら面倒なの」

フリーンに急かされるままに縦穴を降りると、その下には雑多な光景が広がる別世界があった。通称勝手口、流民と犯罪者が巣食う地下街の入り口で、綺麗に整備されて街路樹が立ち並ぶマギニア市街地とは真逆の印象の、建物やテントが立ち並び、道を飾る様に洗濯物や干した魚や絞めた肉が並ぶ、言ってしまえばスラム街の様な場所だ。

「この辺は治安はマシな方だけど、お客様とのトラブルも絶えないからね。アザレアが気を使って自警団に頼んできたの」

「アザレアって誰?」

「アガタは知ってる? 勝手口に住んでるアガタ。自称、彼のお友達の女の子」

どうやらアガタの知り合いが招いてくれるらしい。嫌な予感しかしないが、この場で星術の一つでも撃とうものなら、無事に市街地に戻れる可能性は極端に低くなる。

「先生、どうします?」

「そうね、帰ってもいい?」

「あははは。心配しなくても失礼なことはしないよ。あの子はその辺はちゃんとしてるから」

フリーンが笑いながら答えて、屈強な自警団らしき連中と挨拶を交わしながら、軽い足取りで外からの光量の多い一角に向かっていく。時折、泥棒らしき輩が自警団に囲まれて叩きのめされていたり、露店商に棍棒で殴られたりしているが、よくある風景なのかフリーンはまったく気にしていないようだ。

「私も来たばかりの頃は怖かったけど、3年も住んでると慣れちゃって」

「まあ、迷宮の魔物なんかとか比べるとね」

「聞いたよ。あなた冒険者なんでしょ。私も昔、新大陸の開拓団にいたんだよ。まさか本国と連絡が途絶えて、マギニアに拾われるとは思ってなかったけどね」

フリーンはあっけらかんと語り、その頃に新大陸に流れ着いたアガタとも知り合ったのだと説明した。どうやら海都を去ったアガタは外海に出て、新大陸に流れ着き、そこで開拓団の一団と寝食を共にし、マギニアに乗り込む事になったそうだ。

「はい、到着。ここがタンブリンの酒場」

フリーンが足を止めると、そこには比較的しっかりとした作りの酒場が建っていた。彼女曰く、店主のタンブリンは開拓団相手に商売していたオカマで、隣の朱の鳥飯店の女将も同様に開拓民相手の宿を経営していたそうだ。

クワシルの酒場が洒落た雰囲気の少し高めの店だとしたら、こちらは二つ並べて場末の大衆居酒屋といった風情だろうか。故郷アーモロードの羽ばたく蝶亭も景色の良いリゾート地の酒場といった風情で居心地がよかったが、こういう場所も悪くない。

ティコが早速酒を頼もうとすると、店のドアが開いて、赤い髪の少女が駆けこんでくる。

「ごめんごめん、お客様を待たせちゃうなんて。おお、あなたがティコ・ブライエン、噂通りの美人だね。私はアザレア・シュバルツェン、お友達のアガタが世話になったようで、代わりにお礼を言うよ。フリーンもありがとう。御代は自警団詰め所に払っておいたから、間違いないか確かめておいて」

赤髪の少女が捲し立てるように挨拶を済ませ、慌ただしく酒と料理を注文し、てきぱきとティコの目の前に料理と酒を運び、ふっと一息吐いて椅子に腰かける。

「さて改めて、私は通りのずっと向こうに行ったところの集合団地、通称どぶねずみの巣に住んでるアザレア。ねずみが嫌いだったら虫籠でも鳥籠でもなんでもいいけど、マギニアから色々と目をつけられてて、私達はそう軽々と上に行けないんだよ。当然向こうも易々と下には来れない。私達は簡単に下の食糧庫から何から制圧できるけど、向こうも手段を選ばなければ簡単に地下街を一掃できる。つまり不可侵条約ってやつだね」

アザレアはティコの持つ果実酒の入ったグラスに、自分の持った葡萄酒の入ったグラスを合わせて、軽く触れて音を鳴らし、ぐいっと飲み干し、

「でも上の事情と私達は関係ない。君はアガタを助けてくれた大事なお友達、困ったことがあったら何時でも来ていいよ」

そう言ってティコの手を握り、上下に何度か振る。冷たい蛇にでも巻き付かれたような嫌な感触が掌を襲う。しかし目の前の少女は悪気を一切感じさせない屈託のない笑顔でティコを見つめ、しばらく食事と酒を楽しみ、ちょっとしたお土産だと言って地下街で職が無くて困っている3人を連れてきて、もし人手が足りない時は彼らを雇ってあげて、と紹介していったのだった。

「なんだか嵐の様な子だったね」

「そうですね。あまり信用してはいけない類の人間だと思いますが、すでに知られたからには刺激しないようにした方がいいかもしれませんね」

「そうだね」

ティコとヨハンネスは互いに顔を見合わせて、帰り道を屈強なライオンの様な風貌の男に護衛されて、不思議で奇妙な地下街を後にした。

Ⅳ 迷宮を迷いし者(後)

飛竜に攫われて下層へと放り投げられたティコ達が目を覚ますと、周囲には衛兵達の物であろう武具が散乱し、褐色肌の元気そうな少女が心配そうな表情でティコの顔を覗き込んでいる。

「あ、目を覚ました! すごい勢いで落ちてきたけど大丈夫?」

「ええ。もしかしてあなたがエトリアのシリカさん?」

「うん。ねえ、君達、ボクと一緒にここから出るの手伝ってくれない?」

ティコは首を縦に振って、さっさと外に出ようとバッグパックの中にあるはずのアリアドネの糸に手を伸ばす。しかし飛竜の爪に引き裂かれたのか、バッグパックには大きな穴が開き、宙を待っている間に中身が撒き散らかされ、運悪くアリアドネの糸も貴重な回復薬も失われていた。

「糸がない。シリカさん、糸は持ってる?」

「ごめん、ボクも持ってないんだ」

どうやらシリカも糸を持っていないらしく、自力で出口を探すしかないようだ。ティコはエリルとソーレンセン、主の危機に駆け付けたヨハンネスを起こして、行方不明になっていたエトリアの商人を見つけたことを告げる。

「そうそう、もうひとり落ちてきた人がいるんだ」

シリカがティコ達が眠っている間に用意したテントを指さし、その傍らで手当てをしている暗い雰囲気の少年を呼ぶ。確かレオという死神と揶揄されている冒険者だ。

「レオ君もボクを探しに来てくれたんだけど、飛竜に攫われて落ちてきたんだよ。でもみんな生きててよかったね」

「前向きだね」

「エトリアでも迷宮に行ったこともあるんだ。その時は鹿とイノシシとカマキリを見に行ったんだけど、冒険者のおかげで無事に帰れたんだ。だから今回も大丈夫だよ!」

少々螺子が飛んでるくらいに前向きな気もするが、悲観的になられるよりは希望を持ってもらう方が数段いい。それに比べて、テントの傍らにいるレオは不吉な言葉を口にしている。

エリルはレオの横っ面を張り倒し、驚いた顔で戸惑うレオに思いの丈を浴びせ掛ける。

「いい? あなたが生きてるのも仲間が死んじゃったのも、ここでぐちぐち言ってても仕方ないでしょ! 生きて帰りたいんだったら私達に協力しなさい、帰りたくないんだったらそこで座っていればいいわ!」

「ボクだって死にたくないし、誰にも死んでほしくない。でも」

レオは反論するが、すぐに言葉を止めて、また暗い表情で俯く。どうやら余程重症のようで、彼が仲間の死という過去を振り切るには相当時間が必要だと思われる。ティコがどうしたものかと頭を掻いていると、樹木の陰から淡々とした口調で何者かが語り掛けてくる。

「そこの女の言う通りだ。生きて帰りたいんだったら立って歩け。その後は市街地に引き籠るなり、浅い階層で危険の無い範囲で冒険をするなり好きにすればいい」

ティコはその声に聞き覚えがあった。オリバーとマルコを助け、自分に助言めいた言葉を掛けた青年だ。

「アガタ、あなたも来てたの?」

「名乗った覚えはないが、まあいい。マギニア冒険者も衛兵も、揃いも揃って無茶をするから助けても助けてもキリがない。もう少し自重してもらいたいもんだ」

アガタは皆の前に姿を現し、その白髪交じりの頭を掻き上げて、言葉通り衛兵達を助けて疲弊しているのか額に浮かぶ汗を拭った。その額に薄くなってはいるものの十字傷が覗かせる。

「ねえ、アガタ。あなたはここから帰る方法を知ってるの?」

「いいや。俺も飛竜に攫われるそいつらを見て、慌てて後を追ってきたんでな。だが、入り口があるなら出口もあるのが道理だ。おそらくこの壁の向こう辺りにあると踏んでいるが」

アガタは樹木が絡まって出来た壁の裂け目をこじ開けようと短剣を差し込むが、壁が思いのほか堅くてこれ以上開きそうにない。

「金星(ウェヌス)の老墓守、お前の爪に火を灯せ」

ティコも掌から火球を生み出して、裂け目にぶつけるが、水分を多く含んだ樹木の表面を焼け焦がすくらいで、これ以上裂け目を拡げるのは今の力を封じられた状態での星術では無理そうだ。

「仕方ない、地道に探すか。道標くらいはつけておいてやる、お前らも気を付けて帰るんだな」

「え? 一緒に行くんじゃないの?」

「俺とお前らが?」

ティコの問い掛けにアガタが不思議そうな顔を向ける。どうやらアガタはあくまで独りで行動して帰るつもりだったらしく、一方でティコはこの場にいる全員で協力して出口を探すつもりだった。全員で協力した方が危険も少なく、出口が見つかるのも早いかもしれない、とティコは説得を試みる。それにもしアガタが単独行動をしている内に、シリカやレオが倒れることがあったら来た意味がなくなる、とも伝えると、アガタは仕方ないといった様子で、出口が見つかるまでは同行すると承諾した。

「いいか、出口が見つかるまでだ。そこから後はお前らでどうにかしろ」

「ええ。早く出口を見つけて帰りましょう」

こうして一時的な条件ではあるが、アストロラーベと元ムロツミ、海都出身者のふたりが、故郷を遠く離れたマギニアの地で手を組んだのだった。

 

アガタが含み針を飛ばし、眠った獣にティコが星術を撃ち込む。二人の連携は想定以上に息が合った。息が合う、というよりはアガタが占星術師との連携に慣れており、時に機先を制して獣を無防備な状態に追い込み、時に炎に怯んだ獣に刀を振るって止めを刺した。かつて海都の世界樹に挑んだものの、深都にまで辿り着けずに姿を消した彼を、実力的には並みかそれ以下と見做していたが、いざ実際に戦う姿を見ると腕はティコ達と同等かそれ以上のものがあった。特に素早さは図抜けている。エリルやレオが武器を1回振るう間に、2体も3体も斬り捨てていった。

「ずいぶん強いんだね」

「俺もそれなりに鍛えているからな。影を追って河馬を避けてた頃とはわけが違う」

「なにそれ?」

「こっちの話だ」

アガタはどこか懐かしさを覚える戦況に、かつて他の冒険者の後を追って凶暴な河馬を避けたことを思い出し、もしあの頃に今の力があったら、今の冷静さがあれば、未来は少し違ったかもしれないと一瞬だけ考え、しかしどれだけもしもを考えても現実は変わらないのだと再度刀を振るった。

どれだけ冒険者や衛兵を救っても、大事な人は帰ってこないし、何の罪滅ぼしにもならない。そんなことはわかっている。わかっているが、それでも命を落とす者は少ない方がいいに決まっている。アガタは渾身の力で鋭い牙を持つ虎の頭を叩き割り、未だに背後で暗い顔をしているレオに視線を向ける。

レオも道中でシリカに明るさに励まされたことで多少前向きになっているのか、しっかりと視線が前を向いている。

「レオとか言ったな。お前の気持ちはわからないでもない」

アガタの言葉に顔を向けるレオに、一言だけ告げた。

「俺も大事な人が死んだ」

それ以上は口にしなかった。別に同じ悲劇を体験した者がいることでレオを無責任に励ますつもりでも、自分の悲劇を分け与えるつもりでもない、ただ生き残った者にしか出来ないことがあり、生き残ってしまった限りは、結局のところ生きるしかないのだ。そこに気づくのに早いか遅いか、自分の方が少しだけ早かった、それだけのことだ。

レオは再び刀を振るうアガタの後姿を見据えて、鎌を握る手に力を込めた。

 

「ありがとう、ティコ。アガタさん。それにレオ君も。みんなのおかげで助かったよ!」

探索の果てに上階への階段を見つけ、消失点まで迎えに来たコッペリアハウメアとの合流を果たし、無事に迷宮を出たシリカが頭を下げる。ティコもアガタに礼を告げて、多少前向きになったレオに、もしそんなに気に病むならこれから仲間を作って彼らを助けたらいい、と言葉を掛けた。エリルも横っ面を叩いたことを気にしているのか、レオにぶっきらぼうに詫びの言葉を告げる。

「ありがとう、アストロラーベ。少し考えてみるよ」

そう言ってレオはシリカを送り届ける為にマギニア市街地へと向かった。

「もういいだろう。お前達との共闘もここまでだ」

「ありがとう、助かった」

「俺もだ。正直ひとりだと厳しかったかもな」

そう言って一応の礼を述べて、そのまま立ち去ろうとしたアガタだったが、借りを返さずに済ますのは気が引けるのか、不意に足を止めてティコ達の方に向き直る。横薙ぎに右手を振って一枚の羊皮紙をティコに投げつけ、気が向いたら訊ねろ、と言い残して風のように姿を消した。

羊皮紙にはマギニア市街地の見取り図と、その端に記されたバツ印が描かれていた。おそらくそこに彼の塒か連絡手段があるのだろう。ティコ達は事態が落ち着いたら訪れてみよう、と一旦ベースキャンプへと戻ることにした。

 

 

 

 

 

ギニア市街地は飛行都市マギニアの甲板部分に作られた街であり、冒険者や住民にとっては全てに等しいが、マギニアの基となる飛行船からすればそれはあくまで甲板の上でしかない。飛行船は多層階層式なっており、市街地の下には軍の倉庫や食糧貯蔵庫、資源保管庫、或いは動力機関や囚人を収容する独房や牢獄も存在し、その中の一角に地下街と呼ばれる区画がある。日の光が上からではなく真横から射し込むその区画は、決して広くはないが、それでも数百人或いは千人以上の住民が身を寄せ合うように暮らし、違法に増築された建造物が天井に届くまでに蔦のように伸びている。

アガタが市街地の一角から地下へと降りると、ひとりの少女が笑みを浮かべて彼を出迎える。

「今回はずいぶんと時間が掛かったのね」

「ああ、ちょっと厄介なトラブルに巻き込まれてな。余計な借りも作ってしまった」

「ふうん。それはお礼をしてあげないとね。ポタスとタンに土産の用意をするよう伝えておくよ」

アガタはそうしてくれ、と少女に告げて、そのまま地下街の奥へと姿を消した。

少女はアガタの後姿を見ると、くるりと軽い身のこなしで踵を返し、血のように赤い髪をなびかせながら地下街の外に目を向ける。大海原を占める景色の片隅に冒険者達の挑む島が、今日も静かに風に吹かれている。